2010年10月8日、急性心筋梗塞で死去、享年81歳。日本映画批評家大賞には第1回から参加。第18回まで授賞式に元気な姿を見せて下さっていた。小柄で少し猫背気味で、いつも優しくとつとつとした話し声も懐かしい。映画業界入りのきっかけは学習院大在学中に英国映画『赤い靴』に酔い痴れたから…と自身で書いている。NCC(ヘラルドの前身)の宣伝部に入社。MGMを経て1963年からフリーの物書き業に。特に映画資料収集に情熱を燃やし、その知識の豊富さも業界屈指。まさに映画の百科事典だった。日野ちゃんの素晴らしさは、求められれば誰にでもその知識を惜しみなく分け与えたことでブルース・リー、ジャッキー・チェンなどの著書も多く、映画音楽にも造詣が深かった。シベリア特急にも2回乗って、『シベリア超特急』を作った水野さんを悔しがらせて喜んでいたのも忘れられない。