日本映画批評家大賞

第22回受賞作品



ゴールデン・グローリー賞(水野晴郎賞) 石濱 朗
石濱 朗

石濱朗は本名。
暁星高校1年生の時に児童心理学者・波多野勤子著のベストセラー
『少年期―母と子の四年間の記録』の映画化
『少年期』(1951年木下恵介監督)の主役募集に応募。
1500人の中から主役に選ばれてデビューした。
 いかにも都会の少年らしい繊細で近代的な美少年は木下監督の目にかない、
続けて同監督の『海の花火』(51年)にも出演。
翌52年と53年には木下恵介監督の愛弟子である小林正樹監督のデビュー作品
『息子と青春』と次回作品の『まごころ』に出演した。
 私との出会いもちょうどこの頃で、
彼は新米映画雑誌記者の私が生まれて初めて
単独インタビューした相手であり、もちろん、“イチローちゃん”
(デビュー作の役名からついたニックネーム)もまだ新人だったから、
顔を合わせるなり二人ともガチガチに固まったままだったのも、
今となれば懐かしい思い出である。
さらに54年には彼の俳優人生のエポック的2作品にめぐり合う。
美空ひばりとの初共演『伊豆の踊子』(野村芳太郎監督)と
初めての他社出演(東京映画)で、
やはり久我美子と初共演の『風立ちぬ』(島耕二監督)だ。
特に監督デビュー作とあって大張り切りの野村監督は、
脚本のシーン1から撮り始めラストシーンを最後にという凝りようで、
ひばりも旅公演など他の仕事はいっさい入れずに全力投球し、
相手役の彼に本物の初恋をしたと噂されたほどだった。
ひばりとの共演はこの他にも『娘船頭さん』(55年萩原徳三監督)
『若き日は悲し』(54年岩間鶴夫監督)がある。
近年は立教大学の先輩である池部良のあとを継いで
社団法人日本映画俳優協会の理事長を昨年春まで務めてきた。

ゴールデン・グローリー賞(水野晴郎賞) 林 与一
林 与一

その存在感は唯一無二。
主役をも食ってしまう役者。
名バイプレイヤーと呼ばれる役者たちを代表する一人、林与一。
彼の曾祖父は大阪の歌舞伎役者初代中村鴈治郎であり、祖父は二代目林又一郎。
知る人ぞ知る生粋の役者一家の出身者、
林与一に与えられた天賦の才の源かも知れない。
林与一は映画「七人若衆誕生」信光役で頭角を現し、
甘いマスクがデビュー当時から映画・テレビで話題になった。
1965年「怪談」源義経役、「鼠小僧次郎吉」鼠小僧役で観客の心を鷲づかみにした。
30代を迎え、情感のある林の演技はますます冴えわたる。
時代劇では、テレビはもちろん映画「子連れ狼 親の心子の心」(1972年)
「必殺仕掛人 梅安蟻地獄」(1973年)などで美しい影のあるニヒルな役を演じきった。
最近ではテレビ・舞台を活躍の拠点としていて、
今年NHK大河ドラマ「八重の桜」では島津斉彬役として出演した。
その健在ぶりに嘆息した方も多いことだろう。
彼の気品、色気はまさに円熟期を迎えたと言っていい。
個性派俳優と呼ぶのはあまりにも言葉足らずだ。
彼の静かな存在が作品に解き放つ何とも言えない陰陽併せ持つ雅な空気感。
今後のさらなる活躍を期待している。

ゴールデン・グローリー賞(水野晴郎賞) 夏八木 勲
夏八木 勲

目に見えない放射能の恐怖を描いた園子温監督の「希望の国」で、
夏八木勲は福島原発事故の被災者を連想させる、酪農家の小野泰彦を好演している。
泰彦は息子夫婦を説得して避難させるが、
認知症の妻(大谷直子)を愛している彼自身は、
長年住み慣れた家を離れられない。
そんな泰彦の最後の選択が衝撃的で、迫真の演技に圧倒された。
家族を愛し、決断力や行動力もある、
理想的ともいえる父親の泰彦にリアリティや魅力を感じるのは、
演じている夏八木自身の人間的な魅力が、役柄と無理なく重なるからだろう。
 俳優の仕事は、時代の流行や人気という不確実な要素に大きく左右される。
夏八木は慶応大学文学部を中退し、文学座付属演劇研究所、
俳優座養成所を経て東映と契約。鍛えた身体と精かんな男っぽさが魅力で、
デビュー二作目になる五社英雄監督の「牙狼之介」で早くも主役に抜てきされた。
特攻隊員を演じた「あゝ同期の桜」や、暗殺隊を率いる「十一人の侍」も忘れられない。
東映を離れてしばらく脇役が続いたが、70年代後半に一世を風靡した
角川映画「人間の証明」「野性の証明」で人気が復活し、
主演した「白昼の死角」(79年)では、
知能犯罪集団を率いる鶴岡七郎を演じて強烈な印象を残した。
 最近は浮き沈みを経て、格好良く年齢を重ねてきた男の渋さと風格が加わり、
話題作の出演が目立つ。「のぼうの城」の和尚、「脳男」の大富豪、
「ひまわりと子犬の7日間」の飼い主など、出演シーンは少なくても、
幅の広い演技力と確かな存在感で作品に貢献している。
俳優座養成所で同期だった原田芳雄や地井武男が鬼籍に入った今、
頼りになる俳優としての期待感が膨らんでいる。

ゴールデン・グローリー賞(水野晴郎賞) 久保 明
久保 明

昨年4月に封切られた役所広司主演の『わが母の記』(原田眞人監督)を見て、
私は1957年に公開された堀川弘道監督のデビュー作品『あすなろ物語』を、
とても懐かしく思い出してしまった。
 55年もの時を経てはいるが、この2作品は
共に昭和を代表する大作家・井上靖の自伝的小説の映画化であり、
『あすなろ物語』で久保明が演じていた主人公の少年は、
自分は母親に捨てられて育ったと誤解したまま成人して役所扮する小説家となり、
痴呆症が始まった母親がふと発した一言に、
初めて自分がいかに長い間母親の深い愛に気付かずに
誤解したまま生きてきたかを知ってむせび泣く……という物語なのである。
 『あすなろ物語』で久保ちゃんの幼少期を演じて映画に初出演したのは
まだ小学生だった実弟の山内賢だったが、
賢ちゃんは2年前に惜しくも早逝してしまった。
久保ちゃん自身の芸能界へのデビューも早く、
ラジオドラマで人気だった『鐘の鳴る丘』の映画版と舞台版の両方で子役として活躍し、
1952年に東宝の『思春期』(丸山誠治監督)に主演して本格的に映画デビュー。
その後、この時の役名の久保明を芸名に東宝の青春スターとして
活躍するようになった。
『続思春期』(53年本多猪四郎監督)のあと主演した『潮騒』(54年谷口千吉監督)で、
相手役の青山京子と演じた海辺の洞窟での、ういういしいラブ・シーンは
当時としては画期的なもので全国で大評判となり、マスコミもファンも大騒ぎ。
この青春コンビは東宝のドル箱となった。
 その後の主なる出演作は『あすなろ物語』、『蜘蛛巣城』(57年黒澤明監督)、
『独立愚連隊西へ』(60年岡本喜八監督)、『椿三十郎』(62年黒澤明監督)など。

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