日本映画批評家大賞

第20回受賞作品



「春との旅」の編集を見て人々をうならせる見事な編集ぶりに心をふるわされた。小林政広監督が手がける作品は初期の作品から編集は金子尚樹氏である。彼の父は映画の編集の草分けで金子半三郎氏であり、黒澤明監督・溝口健二監督の編集の一員で、数々の映画をこの世におくりだした。代表作は「西鶴一代女」。そんな父を見て彼自身も映画の世界に進むが、助監督としてスタートを切る。当時の日本映画は衰退の道にむかっており、ロマンポルノの世界であった。「shall we ダンス?」の周防正行監督そして「おくりびと」の滝田洋二郎監督が当時の仲間である。彼自身は「風の谷のナウシカ」「思い出ぼろぼろ」といったアニメーションから、「恋するトマト」間もなく公開の「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」のポストプロダクションプロデューサーも数多く手がける。彼の映画の想いは大作から、いまだ35mmで撮るポルノ作品まで、年間10本以上の作品をこなし、また新たな映画監督・脚本家・編集マンが育ってゆく。今回の浦岡敬一賞を金子氏が受け取ることは、心から喜ぶ映画人が多いのではないか。彼自身が編集の師匠と仰いだ人物こそが浦岡敬一氏であり、天国の浦岡先生も喜んでいるに違いない。私は映画の友達「映友(えいゆう)」と呼んでいる。心から今回の受賞に対して「映友に乾杯」

森田芳光監督の「武士の家計簿」は江戸時代から明治にかけて3代にわたる加賀藩の御算用者の家族を描いて、大きな感動を与えた作品だ。原作は磯田道史著「武士の家計簿」(新潮新書)で、地味な本であるが映画の影響もあってベストセラーになっている。脚本の柏田道夫は、小説家としてデビューした。95年「桃鬼城伝奇」で学習研究社第2回歴史群像大賞、「二万三千日の幽霊」で文藝春秋社第34回オール讀物推理小説新人賞を受賞している。脚本は「GOTH」に続いて2度目ということだが、小説で培われた創造の妙味は、「武士の家計簿」でも十分に生かされている。まず強調したいのは、原作は実在した加賀藩・猪山家の家計簿をもとに江戸時代から明治時代の下級武士の生活ぶりを解説した本だということだ。この古文書は筆者が神田の古書店で手に入れたもので、これだけまとまった出納簿が現在まで残っていることは、非常に珍しいということだ。原作には、猪山家の家系とそれぞれの名前や細々とした金の出入りなどは書かれているが、それ以上に詳しいエピソードは書かれていない。つまり、ほとんどのエピソードは脚本の柏田氏が書き起こしている。それにしては映画を通じて江戸時代のソロバン侍一家の誇り高さとひたむきさが生き生きと伝わってくるではないか。なかでも猪山家が借財返済のため、思い切った財政改革を行い、大切な品を惜しみながらも手放す潔さの描写などは見事というほかはない。柏田氏の脚本は、森田芳光監督をよく援け、刀を抜かない時代劇の感動を贈ってくれた。

寺山修司の“家出のすすめ”に煽られて、生まれ育った三重県の片田舎から上京、寺山が学んだ早稲田大学教育学部に入学したのが昭和 43 年(1968)の春。そんな私も去年(2010 年)還暦を迎えた。
その記念に私は『寺山修司・考 桃色篇』(わくが書房新社)を上梓して、寺山一色だった青春時代を回顧した。
そして今、故郷・三重と東京を行ったり来たりする旅を“ハーフターン ”と称して続けている。私に、この“ハーフターン”の旅を思いつかせたのは、昭和 4 9 年(1974)に公開された寺山が監督した ATG 映画『田園に死す』。
2 0 年後の「私」が田舎の板の間で母と向き合ってご飯を食べている。そのセットが、突然パタンと倒れると、そこは新宿の雑踏のド真ん中。一瞬にして、田舎(地方)と東京(都市)が混在する寺山ワールドの現出である。
その思想を自らの身体で体験すべく、いま私は“ハーフターン”をし続けている。私に人生を教えてくれたこの映画を観たのが、当時、新宿伊勢丹前にあった“アートシアター新宿文化 ”で、その支配人が葛井欣士郎さんだった。
ちなみに葛井さんは、三重県出身であり早稲田大学出身である。つまり、家出少年の私に、映画で人生を教え、いま故郷に“ハーフターン”させているのは映画を愛する同郷の大先輩がいたからである。ありがとうございます。

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